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月日の話


坂口安吾全集』の11巻をめくりつつ、新しい年を考える。
2016年になったようだ。
母は毎年、「ゆく年くる年」をつけては「0:00」の表示を待ち侘びている。
「0:00」のその瞬間、母はきちんと座り直して、私と妹に向かって新年の挨拶をする。
思春期真っ盛り、中学生の妹は大儀そうに挨拶を返していた。
捻くれ者の大学生の私は、時間・日付、月日についてぼんやり考えていた。

時間や日付というものは、元々人間が創り出したものである。
流れていく時間を記憶するために、それを切り取っては単位というラベルを貼る。
切り取られた時間が日付を生み、そこに区切りができていく。
何が言いたいかというとつまり、月日というものはあまりにも人工的である、ということ。
そんな人工的なものを、最早一種の信仰のごとくありがたがっている人たちに、強烈に違和感を覚えるのだ。

國分功一郎の著書『暇と退屈の倫理学』によれば、人間は退屈を嫌う生き物である。それゆえに変化や新しいことを好む。
それが人工的であろうとも、「区切り」をつけて「新しい気持ち」になる必要がある理由だろう。
それは書きかけのノートであってはならないように。
新しいノートの最初の1ページでなくてはならないように。
自力でいつまでも「新しい気持ち」を創造できる人間でありたい。

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Thank you for reading this to the end.