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風と光と二十の私と

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何となく、本当にただ何となく、今日のバイト中に、自分の生年月日を印字したシールを作った。
1995年4月1日生まれの、二十歳。
とは言え、未だに自分が二十歳である実感がなく、「何歳?」と訊ねられるといつも、一瞬間を空けて答えることになってしまう。
と言うのは、私がまだ自分が二十歳であること、大人であるということを受容できていないからだろう。
高校生だった私は声高に、「私は大人なんかにはならないよ、その前に絶対死ぬから。その時は一緒に死んでね」なんて馬鹿げたことを本気で、当時の恋人に向かって言っていた。
その恋人とは当然のように高校卒業時に別れ、そんなこんなしているうちに、あまりに呆気なく二十歳になっていた。
二十歳になってから、二十歳になってしまってからの毎日は、突然人感センサー式の蛍光灯に見捨てられたみたいに真っ暗で、右も左も、前も後ろもわからなくなってしまった。
今まではずっと、目の前にあった教科勉強をこなしていれば良かった。それがいつの間にか、「将来何がしたい?」「あなたは社会にどう貢献出来る?」そんな類の言葉を毎日のように浴びせられるようになっていた。
将来のこと、老後のこと、私の、私たちの、日本の、地球の未来のこと。
私は今日のこと、今日を生き延びることそれだけで精一杯なのに、どうして皆そんなに前のめりなんだろう。
近代的統辞システム。明日のため、将来のため、今はじっと我慢して努力すれば、いつか絶対幸せになれるよ!
こんなことを本気で信じてしまえるのは、希望にもなり得るけれど、実はとても怖いことだ。
こんなことを言っておいて、私はこうやって今日も一日スーパーでのアルバイトをしてきたわけで。
くだらないシールを作ってみたり、トイレでぼんやりしてみたり、他の従業員の目を盗んで、仕事をさぼってみたり。
これで私は今日、8500円をもらえるということの、そのズルさたるや。
まるでズルをしてお金をもらっている、いや、奪っているように思える。
押し広げて考えていくと、私はズルをして生き延びているのではないかとまで思える。
こんな人間が、せこせこと生き延びている、ズルさ。
人間の本能、ゴキブリ並みの生命力には本当に辟易する。

とてもつまらない文章を書きました。ごめんなさい。

Thank you for reading this to the end.