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不良少年とキリスト

最初に申し上げておくと今日はいつもみたいに気取った言い回しとかわざわざ考えて作ったりしません、

「どうせさっき大森靖子のLINEブログ読んで感動して影響されたからだろ」って思うでしょその通りですピース、

このブログは元来「つぎはぎ」というタイトル通り誰かの言葉や思想をパッチワークみたいに切って貼って、「つぎはぎ」しているだけなんだよ、でも誰だってそうでしょ?  みんなだって色んな誰かの言葉とか思想とかで構成されてるんでしょ、自分が完全なるオリジナルだなんて思い込んでるやつはジュリア・クリステヴァ間テクスト性を勉強してくださーい、はいまた気取りましたグレッチで殴って。

 

今日は元カレ兼セフレを呼び出して「彼女と別れろ!」ってボダりましたピース、

「情があって別れられない」とか超情けない顔して言ってたからコイツくだんねーなレベルが50上がったけどわたしもおんなじぐらい、いやそれを上回るくらいくだんねーから「そっか〜」でべろちゅーしてバイバイした、でも嫌がらせのように今まで貰ったプレゼントとかFAKEしか書いてない手紙とかぜーんぶ紙袋にまとめて投げつけてやった、せいぜいざらっとした嫌な気分になればーか。

 

そういえばなんとなーく海とか川とか水がキラキラしたものが見たくなったから行きたいって言ったら「死ぬつもり?」とか言われたけどバッカじゃねーの?なんでわたしがお前のためにわざわざ死ななくちゃいけないんですかお陰様でこれからも死なずに生きれそーですそういう面でむしろ感謝あざす!

 

「死ぬ、とか、自殺、とか、くだらぬことだ。負けたから、死ぬのである。勝てば、死にはせぬ。死の勝利、そんなバカな論理を信じるのは、オタスケじいさんの虫きりを信じるよりも阿呆らしい。人間は生きることが、全部である。死ねば、なくなる。名声だの、芸術は長し、バカバカしい。私は、ユーレイはキライだよ。死んでも、生きてるなんて、そんなユーレイはキライだよ。生きることだけが、大事である、ということ。たったこれだけのことが、わかっていない。本当は、分るとか、分らんという問題じゃない。生きるか、死ぬか、二つしか、ありやせぬ。おまけに、死ぬ方は、たゞなくなるだけで、何もないだけのことじゃないか。生きてみせ、やりぬいてみせ、戦いぬいてみなければならぬ。いつでも、死ねる。そんな、つまらんことをやるな。いつでも出来ることなんか、やるもんじゃないよ。」

 

「然し、生きていると、疲れるね。かく言う私も、時に、無に帰そうと思う時が、あるですよ。戦いぬく、言うは易く、疲れるね。然し、度胸は、きめている。是が非でも、生きる時間を、生きぬくよ。そして、戦うよ。決して、負けぬ。負けぬとは、戦う、ということです。それ以外に、勝負など、ありやせぬ。戦っていれば、負けないのです。決して、勝てないのです。人間は、決して、勝ちません。たゞ、負けないのだ。 勝とうなんて、思っちゃ、いけない。勝てる筈が、ないじゃないか。誰に、何者に勝つつもりなんだ。」

 

長く長く引用したけれどこれはこれのタイトルにもしてる、わたしの敬愛する坂口安吾の「不良少年とキリスト」からです青空文庫でさくっと読めるから未読の人は是非読んで欲しい、今日このブログ書いたのはこれを伝えたかったからと言っても過言じゃない。

 

わたしは大森靖子にも坂口安吾にもなれない、表現者にはなれないただのわたしだから、こうやって引用してでもいいから何かを伝えたい。

こんなブログみんな読んでくれてるのかなっていささか不安だけどちょっとでもいいから誰かに伝わってほしい。

 

わたしは本当に本当にクソみたいな毎日を送ってるよ。だけど別にいいと思ってるよ。たった一人の男を特別だと思い込んでそんなクソくだんねー奴の一挙一動に一喜一憂、そんなクソくだんねー女には絶対なりたくないよつまんないね。

人生はつまるつまらないの二択しかない、面白くするには面白くする努力をしないとなんにもならないんだよ。

 

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そうそうこの通り。「クズの本懐」の茜さんのこの心理にはすごく共感できる。だからわたしは今も、よくわからん外人とかボランティア先の人間とか学科やサークルの後輩とか先輩とかバイト先の人間とか教授とか高校の時の元彼とか友達とかみーんな手放せないんだよだってわたしの毎日を面白くしてくれるかもしんないじゃんね。そのためだったらなんだって利用してやるくらいの度胸がないとやってらんないよね人生。

 

とか言っときながらどっかでこんなクソみたいなわたしが何の手違いで幸せになっちゃったりしないかなーなんて妄想したりもするよ。てかなってやる。わたしを知ってる人たちがびっくり仰天するくらい幸せになって、大嫌いな人たちに「幸せですピース」ってメッセージ100件くらい送りつけてやりたい。

 

ボダってたら「帰ってODして腕切ってろ」とか言われたけどわたしは生きるために傷つき続けるよ。そして傷つけた奴も傷つけてやる。わたしは傷ついて傷ついて傷つけて傷ついてボロボロになって生きるよ負けないために。みんなもそのために戦い続けようね以上

 

新らしき文学

 

私は悲しい癖で、その時の気分に合った音楽を聴きながらでなければ、眠れない。

 

でも、昨夜はだめでした。

1時間以上iPhoneを介してインターネットから、昨夜の気分の音楽を引きずり出してこようとしたけれど、どれもどれも てんでだめ。

無限に広いと思っていたインターネットも、たかが知れているな。

「この曲は今のわたしと近いかもしれない」

そう思うものはたくさんあるけども、よくよく聴くと違う。

違う、わたしは今そこでそんな言葉は遣わない。

違う、わたしは今そこでそんなドラムは入れない。

 

随分傲慢な消費者だと思うけれど、近頃このようなことが度々起こる。

 

朝、鏡の前でどれだけ試行錯誤しても、「わたし」は「わたし」にならない。

この服は違う、この髪型は違う、この帽子は違う、このメイクは違う、この表情は違う、

わたしじゃない。わたしじゃない。これはわたしじゃない。

 

結局、気に入らない「わたし」で今日も外に出る。

こんな「わたし」じゃあ誰にも会いたくないなあ。

すれ違う人たちみんなに、「これはわたしじゃないんです!」って叫びたい、そんな気持ち。

 

こんな時、自分がただの消費者じゃなかったら。

痛いくらい思います。

 

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もしもわたしが、もっとギターが上手で曲をつくることができたなら。

この気持ちを歌に乗せるのに。

 

わたしはわたしのナイフで世界を切ってみたい。

 

 

 

(この記事だけでも、ずいぶんと他の人の言葉をつかいました。

   無才のわたしがわたしの言葉をつかいたいと思うのは、とんだ思い上がりです。

   でもいつかは、なにかを創る人になりたいね。どんなものでもいいから。

   図々しいけれども、自分だけにできる何かがあるといいなあ、

   って、希望だけはずっと、どこかに持ち続けていよう。)

 

 

桜の森の満開の下


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今年は花見をする間もなく、桜の季節が過ぎてしまった。
バイト先の社員さんに、「大学生が花見しないで何するの」と呆れられてしまったけれど、わたしは大学四年生、花見しないで勉強をするの。
「時の流れが速い」なんておばさんじみたことを言いたくないけれど、そう思わざるを得ない。

このブログの更新を怠っている間に、わたしは21歳になって、大学四年生になってしまった。
七月には教員採用試験を、十二月には卒業論文の提出を控えている。
それらの未来を見越して、毎日を過ごさなくてはならない。

もっと近い未来で言うと、明日のこと。
明日の予定を確認して、乗る電車の時間を。
それから逆算して、起きる時間を決めなくてはならない。
明日の天気を調べて、着る服を考えなくてはならない。
明日のごはんは何にしよう?卵はそろそろ期限切れかしら、
そんなことを考えて今日を過ごす。
今日のうちに、常に未来を見据えること。
当たり前かもしれない、こんなことたちに、わたしはもう疲れてしまった。

桜の美しさを怖れるのは、その散るのがあまりにも速いこと。
もっと言うと、速くなっていることを認めざるを得ないこと。
それほどに「今日」の中に未来が占める割合が高いということ。
それら全部が怖いのかもしれない。


肉体自体が思考する

一ヶ月ほど、ブログの更新を放棄してしまっていた。
「なにも考えることが、書くことがなかった」と言ったら嘘になるのだけど、なにせ思考がブツ切りで、文章に纏めることができなかった。
いかんせん、疲れている。

気持ちに身体がついていかない。
私は4月から大学4年生で、学生というモラトリアムの終焉が近づいているということ。
この事実への焦りから やみくもに行動だけを起こすけれど、行動があって中身が無い。
それにも関わらず、身体だけが摩耗していく。

1日3杯のカフェインで動かしている身体が上げた悲鳴で、ふと気がついたこと。
私は無意識に、気持ちと身体を、肉体と精神を二分して優劣をつけていた。
肉体を、肉体自体の思考を蔑ろにしていた。

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外界と直接触れ合うのは、精神ではなく肉体だ。
どうして肉体自体の思考を蔑ろにできようか。

肉体が「もう疲れた、休みたい」と言っている。
精神が「今頑張らなくてはどうする」と言っている。

両者のバランスが肝要と言ってしまえばそれまでの話だが、時には肉体自体の声に耳を傾けることも、また必要なのかもしれない。

なんて、長々と サボりたいことへの言い訳。


諦めている子供たち

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昨日は成人の日だったらしい。
成人式、あれからもう1年か、なんて凡庸なことを考える。
ローカルなテレビ局の取材班に、「新成人の抱負はなんですか?」と突然カメラとマイクを向けられて、口ごもったことを思い出す。

あれから1年。
わたしは「人と成る」どころか、1年かけてまたひとつ退廃した、堕落女学生になってしまった。

第一、抱負だとか未来だとか、「生きている限り人間は、常に前を見続けなくてはならない」みたいなこの風潮はなんだ。
なにかを成す、成さねばならないという考えは、あんまり正しいとは言えないだろう。
それによってわたしたちはどれだけ自分の首を、自分で絞めているのだろうか。

なにも成さなくても良いと思えること。
これが意外にも大事だと思う。
自分にも他人にも、なにも成さなくて良いと思えること。

「私は何の役にも立たなくてもいいんだ!」(梨木香歩『裏庭』)

あらゆることに理由を求めたりしてはならない。
もっと言えば、すべてのことに意味なんてなくていい。
もっともっと言えば、人になんて、成らなくていい。

「我々は『健全なる道義』から堕落することによって、真実の人間へ復帰しなければならない」(坂口安吾『続堕落論』)


あんまり気負わないで、呼吸を楽にして生きていけたらいいと思います。


月日の話


坂口安吾全集』の11巻をめくりつつ、新しい年を考える。
2016年になったようだ。
母は毎年、「ゆく年くる年」をつけては「0:00」の表示を待ち侘びている。
「0:00」のその瞬間、母はきちんと座り直して、私と妹に向かって新年の挨拶をする。
思春期真っ盛り、中学生の妹は大儀そうに挨拶を返していた。
捻くれ者の大学生の私は、時間・日付、月日についてぼんやり考えていた。

時間や日付というものは、元々人間が創り出したものである。
流れていく時間を記憶するために、それを切り取っては単位というラベルを貼る。
切り取られた時間が日付を生み、そこに区切りができていく。
何が言いたいかというとつまり、月日というものはあまりにも人工的である、ということ。
そんな人工的なものを、最早一種の信仰のごとくありがたがっている人たちに、強烈に違和感を覚えるのだ。

國分功一郎の著書『暇と退屈の倫理学』によれば、人間は退屈を嫌う生き物である。それゆえに変化や新しいことを好む。
それが人工的であろうとも、「区切り」をつけて「新しい気持ち」になる必要がある理由だろう。
それは書きかけのノートであってはならないように。
新しいノートの最初の1ページでなくてはならないように。
自力でいつまでも「新しい気持ち」を創造できる人間でありたい。

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Thank you for reading this to the end.



恋をしに行く

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最近思うことは、私はもう恋愛が嫌だ、ということ。

一人の女は一人の男と恋愛をして、一生愛情でもって繋がっていくことを目指す。
ロマンチック・ラブ・イデオロギー
こんなものが、近代以降の社会でずっと理想とされているから、今日もみんなみんな、それぞれが悩み苦しんでいるのだと思う。

私たちは、幼少の頃から様々なメディア媒体(例えば、漫画、テレビドラマ)や周囲の環境によって、無意識のうちにロマンチック・ラブという恋愛観を刷り込まれている。
女の人にとっては、これが顕著だと思う。
どこか根底に、女は男によって完成されるという価値観が横たわっているから。
(シンデレラ・コンプレックスがその一例。他にも、女の人に向けられる「独身」という言葉のもつネガティヴなイメージも例の一つだろう。)

男と女はそもそも別の生き物で、どちらかがどちらかによって満たされうるという考え方がそもそも間違っているのではないか。
相手に期待すること。依存すること。
こういった考え方、恋愛観がなければ、世の中の男女が抱えている恋愛に関する悩み事はほぼ無くなるだろう。

ロマンチック・ラブ・イデオロギーは案外、根深いし根強い。
夫婦別姓の件もそうだけれど、選択の自由が増えることが、今の近代社会を越える、ポストモダンの一つの提案になると思う。


フェミニスト批評家の下位互換みたいな文になってしまいました。
屁理屈の論理で強がるのは、本当はもうやめにしたい。

Thank you for reading this to the end.